【留学体験談②:到着〜終了編】インドネシア・バンドン交換を振り返る

【留学体験談①:募集〜出発前編】インドネシア・バンドン交換を振り返る のつづき

前回の記事では、インドネシア交換留学募集と出会い、応募に至った経緯。そして、留学の決定してからの心境の変化、出発前日までの話を書きました。体験談②ということで、留学後の話を書きます。

2014年8月26日早朝、ジャカルタ・スカルノハッタ国際空港に到着しました。到着ロビーで、大学が事前に手配してくれていたインドネシア教育大学の国際交流課職員のGさんと無事に会い、車でジャカルタからバンドンに向かいました。もちろんGさんと運転手の方は日本語を話せず、私もインドネシア語を話せなかったため、英語でコミュニケーションを取りました。しかし、英語もろくに話せなかったため、簡単な意思疎通をするのも一苦労でした。当時、私はこの会ったばかりの2人に身を委ねるしかなかったのです。

すべてを受け入れ、身を委ねる

食べ物

インドネシアに到着して、大学のあるバンドンに向かう高速道路のサービスエリアで、最初のインドネシア料理を食べました。サービスエリアには現地の人向けのローカルなお店しかなく、その不衛生さが気になりましたが、他に選択肢が無さそうだったこともあり、ある種の覚悟をしたことを覚えています。それは慣れるしかないのだという覚悟です。また、この時、初めて指を使ってご飯を食べる慣習がインドネシアにあることを知ったのでした。

大学が始まって現地の友人とご飯を食べに行くようになると、その友人が食べているものやおすすめを教えてもらって色々食べるようになりました。その結果、何が美味しいかとか、これを食べてもお腹を壊さないなどの経験値が増え、インドネシアでの食事は楽しくなりました。

また、当時インドネシア教育大学から頂いていた奨学金の金額(UPI Scholarship)はRp2,000,000(約¥17,000)だったため、ローカルのご飯は安くて、節約が必要な私にとってとても助かりました。ショッピングモールのレストランの価格と比較すると半値以下で、ローカルだと日本の定食のようなボリュームでおおよそRp15,000 〜 Rp25,000 (約¥120 〜¥200)でした。

住まい・環境

インドネシアは日本と比較してインフラが発達しておらず、これは、インドネシア第三の都市バンドンも例外ではありません。公共交通機関が十分に整備されておらず、自動車とバイクが非常に多い街でした。大学の近くに住んでいる学生以外の多くはバイクで通学していました。穏やかなインドネシア人ですが、バイクや車の運転が荒い人が多いように感じました。(日本人の私にとってですが。)

また、ゴミ処理に関しても日本と大きく状況が違っていました。プラスチックを含む家庭ごみは自宅の庭先で野焼きで処分します。これに関しては当初すごく衝撃的でした。現在の日本ではありえないことです。

私の留学中の下宿先は、日本語学科の准教授D先生の二つ目の家の屋根裏部屋でした。私はすぐに気に入りました。入り口は二階のベランダにあり十分なプライベートもあり、大きな通りに面していない場所だったので、とても穏やかな場所だったのです。しかし、日本の設備と比べると足りなりと思うことは多くありました。水回りの問題(シャワーの水圧が弱い、排水されない、給湯器がよく壊れる)、電源周り(照明が暗い、漏電している)、構造の問題(ネズミが屋根に住んでて粉が降ってくる、防音でない)などなど。挙げると切りがありませんが、実はとても快適に過ごしていました。おそらく、それの理由の一つは、すべて受け入れていたからだと思います。また、限られた時間で何ができるかということに集中して、不足面に注意があまり行かなかったのかもしれません。

ゴールを決める

インドネシアに滞在して2週間ほど経過した頃、言語の習得を4ヶ月という短い期間で行うという無謀な挑戦に挑んでいるのだということにふと気が付きました。しかし、見方を変えると、今は言語の習得だけに、すべての時間を集中して使って良い・それだけしていればよいのだということにも気が付きました。

留学前に感じていた成果を残さなければならないというある種の使命感も相まって、ゴールを定め、全力でインドネシア語を勉強し始めました。帰国までの目標は、当大学から初めての奨学金生だったため来年に繋がるように、言語学習で成果を出すといった感じだったと思います。短期的な目標はその都度更新していました。

残された期間に意識的になれるように、擬似的にインドネシアで生まれて成人するという時間の速さを変える遊びをしていました。それは、留学開始日を0歳として、留学終了1ヶ月前に20歳(成人する年)になり、1ヶ月の余生を恩返しに費やすといったようなイメージです。留学終了1ヶ月前までなので3ヶ月(90日)の間を20年と考えるので、20年÷90日 = 0.22年/日、つまり5日で1年というスピードで時間は進んでいきます。(今考えると違う次元に生きていました。笑)

現地のコミュニティで信頼されている人と出会う

ホストファミリー

留学中のホストは、日本語学科の准教授D先生でした。この先生との出会いが私の留学をかけがえのないものにした要因にだったと言っていいと思います。それは、D先生を起点として、数え切れない様々な出会いがあったからです。

* 先生の兄弟の家族
* 先生の子供とその子供
* 先生の日本語学科の学生
* 先生を知っている卒業生
* 先生の繋がりのある日本人の方

おそらく100人以上の出会いが先生を起点としてありました。また、先生のところでお世話になっているということを伝えると、それだけで初めて出会う人からも信頼してもらえました。縁もゆかりもなかった異邦人の私が、先生と繋がりゆえにそのコミュニティで信頼されたのです。

友人

また、大学内での友達に関しても同じことが言えました。D先生の紹介で知り合った日本語学科の学生の友人I君ですが、彼がいろいろな世話をしてくれました。インドネシア語も彼と言語交換をする中で飛躍的に向上しました。

それ以上に、彼が学科内で顔が広く信頼されていたことで、私もI君の知り合いということで信頼され、友達を多く作れた要因になりました。