【留学体験談①:募集〜出発前編】インドネシア・バンドン交換を振り返る

「留学」してきたという話を聞くと、まず、アメリカやイギリスへの留学を思い浮かべるかもしれません。また、「理系大学院生で留学した」というと、研究のために留学していたのだと思うかもしれません。
しかし、私が留学先に選んだ場所は、東南アジアのインドネシア。そして、理系院生の私の留学目的は、研究ではなく、語学学習・文化交流を目的とした交換留学でした。

私が留学に出発する前にインターネットでインドネシアでの留学の情報収集をしましたが、やはり欧米への留学体験記の量と比べると圧倒的に少なく、留学生活をあまり具体的に想像できませんでした。

そこで、インドネシアの留学とはどのようなものなのかの一例として、私がインドネシアへ交換留学した経験を挙げてみます。ちなみに私は2014年8月から2018年12月までの4ヶ月間、インドネシアの第四の都市と言われるバンドンにあるインドネシア教育大学というインドネシアの著名な国立大学に留学しました。これはあくまでも交換留学なので、正規留学と事情が異なるかもしれません。あくまで、一個人の体験と捉えてください。

以下、挿入している写真は、当時私が撮ったものです。

募集との出会い 〜 境遇と心境 〜

インドネシアの交換留学の募集を知ったのは、大学の国際交流課長(当時)の教授のFacebookの投稿でした。「今年度、新たに提携した大学から交換留学の募集が一枠ある」という内容でした。

2013年12月当時、大学四年生で研究をまとめて卒業論文を書き始めようとしていました。当時の心境は、すでに来年度の進路は同大学の大学院と決まっていた一方で、親しい友人は東京の大学院に進学したり、就職したりする中で、明確な目的意識を持たないまま同じ大学の大学院に進学すると決めた自身の選択にある種の不安を抱いていました。それは、すでに研究室で一年過ごし研究活動にあまり面白みを見出せずにいたこと、また、研究室の先輩の姿を見ていると、研究室で成長を感じられず葛藤を抱いている来年の私の姿をイメージできたからです。また、研究室に配属され、最初の基礎固めで出会った細胞生物学という学問に、それまで感じたことのない面白みを感じていましたが、卒業研究に時間を費やし、その探求に時間を費やせず、生物学分野への進路に大きく舵を切る気力と自身を持てないという状況でもありました。

このような中、交換留学の応募を見て、おそらくこれだと思ったのでしょう。
留学は、大学生の初めから興味がありましたが、結局行けずにいました。来年の就職活動などから、このタイミング(大学院一年での留学)で留学を決意しないともう二度と行く機会はないだろうと考えました。偶然、インドネシアは、先々月(当時2013年10月)、国際学会のポスター発表で首都のジャカルタに行ったばかりで何か親近感を感じました。さらに、インドネシアという留学ではマイナーな国への交換留学、一枠を争う競争相手は少ないだろうと考えたのです。
また、以前から、この世界は広くて多様な価値観を持つ人々で溢れているということを知識として知っているだけで、それを体験せずにはいられないというような思いがありました。そこから生じたポジティブな動機として、日本人以外の価値観を知ることで、視野がより広くなり、当時、私が目指す生き方として掲げていた「自然な生き方」に近づけているのではないかという思いがありました。

応募選考 〜 応募までの長い道のり 〜

募集を見て数日内にH教授に連絡をして、留学の詳しいお話をお伺いしたいとの要件でアポイントメントを取り、お会いしました。その数日内に応募したいとの意向をお伝えしたと思います。

実は、このとき、まだ大学内で正式な公募がされていませんでした。それは、受け入れ先となるインドネシアの大学とのやり取り(レスポンス)が鈍く、大学として正式な公募ができないというような状態だったからです。(このレスポンスの遅さは、インドネシアに留学して現地の方の気質を知って理解できました。)
この問題は、応募を決意した私を不安にさせましたが、私にとって好都合でもありました。なぜなら、国際交流課が大々的に公募できず、インドネシアへの留学応募があることを知っている人が少なかったからです。この状態が数ヶ月間続き、幸運にも私以外に留学希望者は現れなかったため、私が暫定で第一候補となりました。

2014年3月に、インドネシアの大学の担当者の方が代わり、やり取りがスムーズに行くようになり、① 志望動機(エッセイ)と②大学教授からの推薦書を要求されました。この段階で、研究室の指導教官にインドネシアへの留学応募を考えているという旨を伝え、承諾を獲得した後、ついに奨学金候補者として応募準備を始めました。
英語での志望動機は、大学一年の必須科目で担当だった英語の教授にお世話になりました。(拙い英語力で書きました。当時TOEIC 600点程度)

そして、2014年5月にインドネシアの大学に申請書を提出しました。

決定準備 〜 使命感 〜

2014年7月にインドネシア教育大学から交換留学承諾書(Acceptance Letter)が届きました。これが、出発予定日の約2ヶ月前でした。安堵とともに本当にインドネシアに行くことことによる不安な気持ちになりました。それは、これまでインドネシア語なんて触れたこともない、インドネシア文化なんて興味を持って調べたこともない、そもそもそれを学ぶ必要性などないと思っていたのです。

しかし、私の動機がどうであれ、この約半年(2013年12月〜2014年7月)、私がなんとかして留学できるように尽力くださった国際交流課の方々を思うと、私がインドネシアというそれまで無縁だった国に留学することが何か運命なのではないかと感じるようになったのです。そのことは、この留学で明らかな成果を残さなければならないという使命感のようなものを私に抱かせました。

心配症の私は、大学院の身分で言語文化交流を目的とした交換留学などしていてよいのかという不安や、これは逃げでしかないのではないかという考えに悩まされました。
そのときに信頼できる周りの人に相談していました。ネガディブな意見もありましたが、その中でも、今したいことができているんだろうなと私が思う人からは、ポジティブな意見をもらう傾向がありました。私の選択は間違っていないのだろうと不安になる私を勇気づけてくれました。

大阪心斎橋のインドネシア総領事館でビザの申請を済ませ、いよいよ出発の準備が整いました。

出発前日 〜 応援してくれた友達と高揚感 〜

出発当日の8月25日、携帯電話とポケットWIFIを解約し、郵便局で転居届を提出を済ませ、国際交流課の方々、担当教授、研究室の仲間に挨拶をしました。学部時代から中の良かったK君は、私のよくわからない旅に門出の挨拶をしに、下宿先に来てくれました。そして、4ヶ月間、大阪から留守にする準備が全て整い、関西空港へ向かいました。これから予測できない未知の世界に旅に出るような高揚感とともに、インドネシア行きの飛行機に乗り込みました。

つづく